関西へ戻り、もう一度、一から積み重ねることを決めた。
そこから十数年。
たくさんの出会いに恵まれ、舞台衣装家として経験を積ませていただいた。
仲間が立ち上げた劇団では創立メンバーとして舞台を支え、専属衣装家として衣装だけでなく、Web制作やデザインも担当した。
舞台衣装はもちろん、アーティストの衣装、花嫁衣装のプロデュース、そして仏像に衣装を着せるというプロジェクトまで。
「衣装」とひとことで言っても、その表現の世界は自然と広がっていった。
そして、大きな転機となったのが、文学座アトリエ公演だった。
外国人演出家との作品づくりは、ニューヨーク・東京・神戸をオンラインでつなぎ、半年以上にわたって何度もディスカッションを重ねながら進んでいった。
デザイン画を描いては修正し、また描き直す。
その繰り返しの中で、一つのことに気づいた。
デザイン画の目的は、上手に描くことではない。
伝えることだ。
手段は変わっても、本質は変わらない。
そう考えるようになった。
その頃から、私はもう一つの問いと向き合うようになっていた。
私は、本当は何を創ってきたのだろう。
衣装だろうか。
舞台だろうか。
それとも、もっと違う何かだろうか。
これまで手がけてきた作品を振り返りながら、一つひとつ整理していく。
すると、見えてきたものがあった。
私は、衣装を創っていたのではなかった。
人物を設計し形にしていたのだ。
舞台では、役の内面を衣装によって強調することもあれば、あえて外見と一致させず、観客に違和感を抱かせることもある。
どこに視線を集めるのか。
何を感じてもらいたいのか。
その人物が、どう在るべきか。
私はずっと、視覚情報を通して人物そのものをデザインしていた。
そして同じ頃、自分自身の人生とも向き合い始めていた。
これから、どんな人生を生きたいのか。
何をしている時が、一番ワクワクするのか。
何を手放し、何を大切にして生きていきたいのか。
そんな問いを繰り返す中で、私は「今の自分に必要ではないもの」を少しずつ手放し始めた。
家具。
本。
布。
服。
そして、人との関わり方も。
手放すことは、失うことではなかった。
未来のために、新しい景色が入ってくる余白をつくることだった。
余白が生まれるたびに、自分の本当の気持ちが少しずつ見えてきた。
もっと、自分の魂に正直に生きたい。
もっと、未来を向いている人たちと、新しい表現を生み出していきたい。
そう思うようになった頃、一つの言葉がふっと降りてきた。
魂衣-Tamai–
本来の自分の魂の在り方にフィットした生き方。
そして、その時、人は何をまとっているのだろう。
外見と内面が自然につながった時、人は、その人らしく輝き始める。
振り返れば、私は25年間、そのことを衣装という形で表現し続けてきたのかもしれない。
世界とつながり、
光と出会い、
恩師と出会い、
一流を知り、
集めてきた星が、一本の線になった。
魂衣-Tamai–
それは、新しい肩書きではない。
25年間積み重ねてきた、私の生き方そのものだった。
私にしかできない使命だ。
そう感じた。
そして、不思議なくらい、ワクワクしてきた。
